「初めに言があった」
創世記1:1~5,ヨハネによる福音書1:1~14
井ノ川勝
井ノ川勝
2025年3月30日
1.①今年、芥川賞を受賞されたのは、鈴木結生さんの『ゲーテはすべてを言った』でした。皆さんの中にも、読まれた方がいると思います。私が印象深く心に留めたのは、授賞式での記者会見でした。そこではっきりとこう語られました。「私の父は牧師で、私は教会で育った。父は日曜日には聖書の言葉を語り、日曜以外は大工を趣味としている。私の言葉との出会いは、母が読んでくれた聖書物語であった」。
お父さまは福島県郡山市のバブテスト教会の牧師でした。鈴木結生さんが小学校3年生の時、東日本大震災を経験しました。被災地を回る父に連れられて歩いた。リュックサックに、聖書と漫画本を詰めて。小学6年生の時、父が福岡の教会に転任された。鈴木結生さんが現在、在学されている西南学院大学大学院は、バブテストの信仰に立つキリスト教学校です。
受賞作『ゲーテはすべてを言った』に、度々引用される聖書の御言葉があります。「初めに言があった」。私どもが今朝、聴いたヨハネ福音書の冒頭の御言葉です。ドイツの詩人ゲーテも、この御言葉を愛し、「初めに行いがあった」と訳しています。この小説の主題は「言葉」です。小説の主人公は、ゲーテを専門とする大学教授です。ある日、家族で食事に出かけた。食後、紅茶のティー・パッグの袋に、古今東西の思想家の愛への名言が印刷されてあった。大学教授が手にしたティー・バッグの袋にこう書かれてあった。「愛はすべてを混乱させることなく、混ぜ合わせる。ゲーテ」。ゲーテの専門家でありながら、その言葉がゲーテのどの文章から採られたものなのか、今まで読んだ覚えがない。そもそもその言葉が果たしてゲーテの言葉なのか。そこから言葉の探求の旅が始まります。その結果、最後に辿り着いた暫定的な結論があります。ゲーテが書いた愛の手紙の言葉が、伝えられ、それぞれの人生で受け止め直され、解釈され、その人の心に深く宿る言葉となった。言葉はどれも未来へ投げかけられた祈りである。その言葉を語った方、その言葉を聞き、受け止めた方、その言葉を伝えた方の、未来への祈りが込められている。
私が購読している新聞の土曜日版に、「好書好日―本と出会う」というコーナーがあります。先週と昨日、鈴木結生さんが特集されていました。そこで鈴木結生さんはこう語っています。
「東日本大震災で世界が滅んでしまう恐怖に直面しました。実はこの世界が不安定だということを突きつけられたのです。聖書は揺らぐ世界を秩序立てようと書かれたものです。僕も小説を書くことで、言葉で、世界を何とか繋ぎとめようとしました」。
②この朝、私どもが聴いたヨハネ福音書の御言葉は、大変印象深い言葉で始まっています。
「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。・・言は肉となって、わたしたちの間に宿られた」。
ヨハネ福音書が、主イエスの地上の歩みを綴ろうとされた時に、何故、このような御言葉から始めたのでしょうか。他の福音書、マタイ、マルコ、ルカ福音書の始め方と比べても、誠に異色を放っています。
「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった」。この「言」とは、主イエス・キリストを言い表しています。そもそも一体何故、主イエス・キリストを「言」と言い表したのでしょうか。ヨハネ福音書の冒頭の御言葉は、声に出してみると分かりますが、リズムを刻んでいます。礼拝で歌われた讃美歌であると言われています。「言」は、新約聖書の言葉、ギリシャ語で、「ロゴス」と言います。従って、「ロゴス賛歌」「言の賛歌」と呼ばれて来ました。何故、ヨハネ福音書は「ロゴス賛歌」から、この福音書を始めたのでしょうか。
全ての初めに、言である主イエス・キリストがおられた。主イエス・キリストは神と共にあり、神であられた。言である主イエス・キリストは肉を纏われ、人となられ、私どもの間に宿って下さった。この「ロゴス賛歌」は、ヨハネ福音書全体の中で、どのような意味を持っているのでしょうか。ヨハネ福音書の御言葉に触れる私どもに、何を語りかけているのでしょうか。
2.①私が大学1年生の時、大学に講義に来られていた熊谷政喜牧師に導かれ、熊谷牧師が牧会する教会の礼拝に出席するようになりました。熊谷牧師の説教に導かれ、大学2年生のクリスマスに洗礼を受けました。熊谷牧師は、私が伊勢の教会に赴任した後、隠退され、浜松のエデンの園に、伴侶のアイナ・メイ先生と入られました。伊勢から二度、訪ねたことがありました。最後にお会いした時、熊谷先生から御自分の書かれた本を手渡されました。本の題名は『受肉のロゴス』でした。そしてこの後、『奇蹟のロゴス』『十字架のロゴス』『復活のロゴス』を書く予定であることを打ち明けられました。残念ながら続編は書かれませんでした。それは伝道者である私に対する宿題、課題となりました。受肉された言は、十字架につけられた言となった。そして死に打ち勝ち、復活された言となった。何故、まことの神がまことの人となられた主イエス・キリストを、言と言い表すのでしょうか。
私が伊勢の教会で伝道していた時、毎夕放送されているFEBC、キリスト教ラジオ放送で、一年間、聖書講義を担当しました。その後半期を、「慰めの対話を求めて~主イエスと私たちとの対話~」という主題で話をしました。その時、説き明かしたのがヨハネ福音書の御言葉でした。ヨハネ福音書は「対話の福音書」です。対話によって成り立つ福音書です。ヨハネ福音書が証しする主イエス・キリストは、「対話される神」です。主イエスは様々な人物と対話されています。老人となり死と向き合い、死を超えた命を求めていた律法学者ニコデモ、ユダヤ人から差別され、結婚生活が破綻し、悲しみと痛みを隠しながら生きていたサマリアの女、38年間病気で苦み、人々との関係も破れ果て、孤独の中にあった病人、貧しさの中で、家族のために、自分の体を売って生活していた姦淫の女、生まれつき目が見えず、差別と偏見の中で生きていた盲人、愛する兄弟ラザロを亡くした、悲しみの涙に暮れるマルタとマリア。主イエスは一人一人と向き合って、一人一人の悲しみ、苦しみを受け止め、対話をされます。「初めに言があった」と語られる言である主イエスは、私ども一人一人と真剣に向き合って、対話される神です。そのために、言は肉となって、わたしたちの間に宿られました。そして主イエスは対話を通して、私どもに応答を求められるのです。言葉で応答することを求められるのです。
②ヨハネ福音書の冒頭の「ロゴス賛歌」は、言である主イエス・キリストを賛美する音色を奏でています。しかし、その中に、音色の異なる言葉が響き合っています。7,8節です。
「神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。彼は光ではなく、光について証しをするために来た」。
言である主イエス・キリストを証しするヨハネです。キリストの証し人ヨハネです。「証し」はこの福音書が重んじる言葉です。言である主イエスの語りかけに対して、何よりも言葉と存在を通して応え、主イエス・キリストを証しし、指し示す存在です。キリストの証し人ヨハネは、私どもを代表しています。
このように「ロゴス賛歌」のは、言である主イエス・キリストへの賛美と、キリストの証人ヨハネのキリストを証しする言葉の二重唱が奏でられているのです。それがヨハネ福音書全体を予告する序曲となっているのです。
3.①初めにあった言、神と共にあった言、神であった言、全てのもの始まりにある言。この言には命があった。人間を照らす命の光であった。暗闇の中で輝き、暗闇に打ち勝つ光であった。全ての人を照らす光であった。私どもの間に宿られた言。主イエス・キリスト。このような御言葉が、「ロゴス賛歌」が、一体どのような時代に生まれ、語られ、歌われたのでしょうか。
ヨハネ福音書を読み進めて行きますと、繰り返し語られ、心に留まる、誠に厳しい言葉があります。9章で、生まれつき目の見えない男の前を、主イエスが通りかかられた場面がありました。弟子たちは尋ねました。「この人が生まれつき目の見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか、それとも、両親ですか」。主イエスは答えられた。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもなお。神の業がこの人に現れるためである」。主イエスの盲人の癒やしが波紋を呼び、ユダヤ人たち、律法学者たちとの間で、激しい論争が生まれました。その9章22節にこういう御言葉があります。
「ユダヤ人たちは既に、イエスをメシアであると公に言い表す者がいれば、会堂から追放すると決めていたのである」。
この御言葉は、ヨハネ福音書がまとめられた時代の教会の状況を表す言葉でもあると言われています。キリスト教会はユダヤ教から生まれ、ユダヤ教の一分派と見なされていました。ユダヤ教の会堂を借りて、礼拝をしていました。ところが、キリスト教会が礼拝の中で、このような讃美歌を歌い始めた。
「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった」。
ユダヤ教徒たちは、天地万物を造られた神のみを礼拝します。しかし、キリスト教会が、「言は神であった」と、言である主イエス・キリストを神として礼拝するようになった。それ故、ユダヤ教徒たちはユダヤ教の会堂から、キリスト者たちを追放する決定を下した。キリスト者たちを村八分にする決定を下しました。ユダヤ教徒の厳しい迫害の時代に生まれた福音書が、ヨハネ福音書であったのです。将に、生きるか死ぬかの岐路に立たされ、死と向き合う状況の中で生まれた福音書であったのです。しかし、そのような厳しい迫害の時代にあっても、私どもの信仰の生命線はここにあると、この「ロゴス賛歌」を歌い続けたのです。
「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった」。
言である主イエス・キリストは神と共にあった神であられる。まことの神がまことの人となられた。言が肉となって、わたしたちの間に宿られた。
②私がFEBCキリスト教ラジオ放送で、「慰めの対話を求めて~主イエスと私たちの対話~」という主題で、ヨハネ福音書を説き明かしていた時、東京神学大学の学長であり、日本におけるヨハネ福音書研究の第一人者であった松永希久夫先生が心筋梗塞のため、集中治療室に入院されました。当時、中渋谷教会の及川信牧師が駆けつけ、祈りを捧げられました。松永先生が死の床で、こう語られた。
「ちょっと休もうとすると交通事故だとかなんだとかで断末魔の声をあげている患者が入ってくるし、五分おきに看護師を呼びつけては、大きな声で説教する患者さんが隣におり、まさに阿鼻叫喚(あびきょうかん)の世界で、まったく眠れない。こっちも死にそうなのに、休むことも出来ない。世の中には、こういう苦しみを抱えて生きている人がおり、また死んでいく人がいるのだということをまざまざと知らされたよ。
また、ある日の明け方の四時頃、隣室が急に慌ただしくなり、目を覚ますと、ドタドタと足音がして、『お父さーん。何故、死んじゃったのー』と繰り返し叫んでいる女性の声が聞こえた。そのあまりの悲しみの深さに心を痛めて、復活の信仰を知らない人たちの悲しみの深さを思って、主よ、この娘さんをお守りください。慰めてくださいと、祈った。僕も、ここまで生きなければ、ペイシェントという言葉の意味を全く知らないままだった。ペイシェント、それは『患者』『病人』という意味であり、同時に『忍耐強い』という意味です。僕は本当にペイシェントになったよ。これを堪えなければ。目に涙を浮かべて、父親の死を嘆く娘さんの悲しみに同情し、病院というところは、そういう悲しみが満ちているんだよ。その方に聖書の御言葉を届けたいと思った」。
松永先生が危篤状態になった時、及川牧師が駆けつけ、枕元で、ヨハネ福音書の冒頭の御言葉、「ロゴス賛歌」を読みました。松永先生が親しんで来た御言葉です。
「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光に勝たなかった」。
この御言葉を聴かれた松永先生は応えられました。「ああ、聖書の御言葉は本当に真実な言葉だ。死の闇に打ち勝つ言がここにある。その言こそ、命の言、光を放つ言だ。この言こそ、死すべき私の体に宿って下さる命の言だ。この言こそ、生きる時も死ぬ時も、私どもを生かして下さる命の言、主イエス・キリストだ。私どもはこの言に、ただアーメンと応えるのみ」。
「ロゴス賛歌」に、自らの言葉を重ね合わせた松永先生の最後の言葉、遺言となりました。
4.①ヨハネ福音書は元々は、20章で結ばれていたと言われています。従って、冒頭の序曲「ロゴス賛歌」に対応する終曲が、20章の結びの言葉となります。私どもの間に宿られた受肉された言は、十字架につけられた言、死に打ち勝ち、甦られた言となりました。言である主イエス・キリストは、様々な人々と対話をされました。十字架の上でも対話をされました。その最後の対話が、最後まで主イエス・キリストのご復活を疑った、主イエスの弟子トマスでした。甦られた主イエスが家の戸に鍵をかけ、閉じこもっている弟子たちを訪ねられた時、トマスだけがいませんでした。仲間から、「私たちは主イエスを見た」と言われても、信じることなど出来ませんでした。「私のこの目で見、私のこの手で触れ、私の指で十字架の釘痕に入れて見なければ、私は絶対に信じない」と言い張りました。
次の主の日、甦られた主イエスはトマスだけを目指して、再び弟子たちの家を訪ねられました。そしてトマスの前に立って語られました。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者となりなさい」。
甦られた主イエスの語りかける言葉で、トマスは十分でした。自分の手と自分の指で、主イエスの十字架の釘痕に触れる必要はありませんでした。トマスは主イエスの呼びかけに応えました。「わたしの主、わたしの神よ」。トマスの信仰告白です。このトマスの信仰告白こそ、冒頭の「ロゴス賛歌」に応える私ども教会の信仰の告白の言葉となったのです。
甦られた主イエスは最後に語られました。
「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである」。
甦られた主イエスのこの御言葉は、トマスの後に続く私どもに向かって語られている御言葉でもあります。「トマス、あなたは肉眼で、甦られたわたしを見て信じたね。しかし、あなたの後に続く人たちは、もはやわたしを見ることは出来ない。しかし、肉眼でわたしを見なくても愛し、今見なくても信じており、言葉では言い尽くせないすばらしい喜びに溢れて、わが主よ、わが神よと、告白しながら、賛美しながら生きるようになる。ロゴス賛歌を歌いながら歩むようになる」。
②金沢教会は今年の5月1日に、教会創立144周年を迎えます。その礎を築かれたのは、アメリカ北長老教会のトマス・ウィン宣教師です。20代半ばで北陸の地に遣わされたウィン宣教師とイライザ夫人は、19年間、北陸伝道のために身を献げられました。しかし、金沢の地を離れても、北陸伝道の幻をずっと持ち続けていました。一度は隠退され、祖国に帰国されながらも、1930年(昭和5)、再び金沢の地に帰って来られました。ウィン宣教師79歳の時です。翌年2月8日の主の日、吹雪の寒い朝でした。ウィン宣教師は金沢教会で御言葉を語るために、会堂の最前列の椅子に着席していました。会衆と共に讃美歌を歌い、司式者の聖書朗読と祈りに耳を傾けていました。その祈りが終わろうとしてうた時、ウィン宣教師は突然倒れ、息を引き取られました。手には説教原稿が握られていました。次の主の日の礼拝で代読されました。ウィン宣教師の最後の説教、遺言説教となりました。説教題は「イエスの奇跡」、聖書はヨハネ福音書の結びの言葉、20章31~32節でした。冒頭の「ロゴス賛歌」と響き合う結びの言葉です。
「このほかにも、イエスは弟子たちの前で、多くのしるしをなさったが、それはこの書物に書かれていない。これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである」。
ウィン宣教師はこう語られました。
「なにゆえ、私が今朝この説教をいたすか。それは私はこの説教を聴いてだれでもイエスを信じ、限りなき生命を受けなさるお方があるならば、どんなに嬉しかろうと思うからである。私はここにイエスを救い主と信じなさるお方があると信ずる。そのお方に勧める。あなた方の今なすべきことはイエスにあなた御自身を捧げ、そして主に救いを祈ることである。しからばヨハネの言葉が真理であることを経験されるのである。私が経験しているように、あなた方も同じ経験をせられるように願ってやまぬ。主御自身が語られたお言葉の中に、『我に従う者は、・・生命の光を得べし』ということがある。
信じている人にはこの肉眼で美しい景色を見るように、心眼で限りなき生命を見ることができる。『生命の光を得べし』とあるが、あなた方はこの生命の光を有しておられるかどうか。何とぞ、ヨハネの言葉をお受け下さい。そして主イエスをお信じなさい。これは私の衷心からの願いである」。
「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた」。生きる時も死ぬ時も、私どもに宿り、生かす命の言・主イエス・キリストの語りかけに応えて、共に「ロゴス賛歌」を歌う主の群れ、日々の歩みでありたいと願います。
お祈りいたします。
「主よ、日々罪の中を歩む私どもです。死すべき体を生きる私どもです。しかし、死の闇に打ち勝たれた命の言、光を放つ言が、私たちの間に宿り、私たちに語りかけ、生かして下さるのです。主よ、どうか日々、主の語りかけに応えて歩む者とさせて下さい。わが主よ、わが神よと、日々信仰の告白をし、私どもの信仰の歩み、主の群れの信仰の歩みを形造って下さい。
この祈り、私どもの主イエス・キリストの御名により、御前にお捧げいたします。アーメン」。